「グレ釣り道場・島野浦」が育てた名人中の名人  ノベ☆スタファイルNo.2・橋本敏昭さん

釣具メーカーが開発した製品を使用し、その強度やしなやかさ、機能性などを実際のフィールド(釣り場)で試したり、その製品をPRしたりする人をフィールドテスターと呼ぶ。釣り人があこがれる各メーカーのテスターらが全国から一堂にそろい、グレ(クロ=メジナ)釣りの“日本一”を競う大会がかつて、大分県で開かれていた。その大会で実に4回もの優勝を誇り、名人中の名人として知られるのが延岡市大貫町在住の橋本敏昭さん(64)だ。グレやチヌ(クロダイ)、イシダイなどの磯釣りを中心に、あらゆる釣りに精通するとともに、島野浦など宮崎県北の釣り場にも詳しい。橋本さんは「ノベ☆スタの活動を通じ、釣り人口の底辺拡大、県外からの観光客の増加につながればいい。そのためにこれまでの経験が少しでも役立てば」と話している。

釣りの原点は小学生のころのフナ釣り。24歳の時に始めたイシダイ釣りから本格的に磯釣りにのめり込みグレ、チヌはもちろん、トカラ列島のヒラアジやアラ、磯や船からのヒラマサ、ルアーでのヤマメ釣り、シーバス、ブラックバスなどあらゆるジャンルの釣りにチャレンジしてきた。

「短気で涙もろく、頑固な単純人間。とにかく負けず嫌い」と自己分析する性格が、釣りにマッチしたのかもしれない。帰省して間もないころ、イシダイ釣りに行った帰りに延岡市安井の地磯でグレが爆釣しているのを目撃し、釣り具店に釣り方を聞いて挑戦したが全然釣れない。竿もイシダイ竿しか持ってない状況では当然だったが、釣りの世界にのめり込んでいったのはそうした悔しさがきっかけだったという。

過去41年間での主な記録はチヌ60センチ、スズキ8・2キロ、ヤマメ42・5センチ、ブラックバス57センチなど。平成6年1月16日に長崎県の男女群島中ノ島の「吉田の2番」で仕留めたオナガグレは、71.4㌢、4.75㌔の大物で、その年の年間大物(オナガグレの部)に輝いた。

グレ釣りのトーナメントに出だしたのは、九州釣りライター協会会長の小路隆さん(ペンネーム・弾涛竿)との出会い、東レのフィールドスタッフに加えてもらってからという。その後、がまかつの有名なテスターの人たちと知り合い、技術交流するなかで腕を磨いていった。


メジャー大会での主な優勝歴はオールジャパングレ磯ロイヤルカップ(大分・鶴見)通算4回、東レ・スーパースターカップ(長崎・五島大宝)、WFG(大分・鶴見)2年連続、G杯争奪チヌ九州大会(長崎・宮之浦)、G杯争奪グレ九州大会(大分・鶴見)、GFG杯争奪チヌ(長崎・九十九島)、がまかつテスター会グレ(和歌山・紀伊大島)、日韓親善スポーツグレカップ(長崎・五島)、NBCチャプター熊本野尻湖戦(宮崎・野尻湖)2回など枚挙にいとまがない。

 

「グレ釣り道場」と言われる島野浦が主なフィールドだが、大分県の鶴見や米水津などに比べると、潮の動きが少なく、難しい釣りを強いられている。それだけに、島野浦で鍛えられた釣り人は、他の条件の良い釣り場に行くと楽に釣れる、といわれる。その証拠に、がまかつ杯グレ釣りトーナメントでは、宮崎県北から過去、3人ものチャンピオンが誕生している。それが「グレ釣り道場」たる由縁だ。

橋本さんのブログのタイトルは「価値ある一尾」。グレ釣り道場・島野浦で、一尾の魚を仕留めるまでのプロセスにこだわり、その神髄を今も追い求めて続けている。

 

「地球温暖化の影響か、秋田県の男鹿半島で良型のグレが釣れ、この周辺でも以前は釣れなかった南方系の魚が釣れるようになってきた。釣り方も、道具も、餌も進歩してきたが、その分魚も学習し年々釣りづらくなっている。だからこそ、価値ある一尾を釣るプロセスの面白さを一人でも多くの人に伝えていきたい」。日焼けした精かんな顔が、さらに引き締まった。

 

 

【橋本敏昭(はしもと・としあき)】

高千穂町上野出身。恒富中から延岡工業高校電子科に進んだが、中退して上京し化粧品のセールスなど様々な仕事を経験したほか、長髪に白衣という格好でガリ版刷りした自作の詩集を街頭で売り歩く“街頭詩人”をしていたこともあるという。

5年後に帰省。国道218号バイパスの工事現場でのアルバイトを経て、岸田電業に入社。9年後に独立し現在の橋本電設を設立した。

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